指導法
2013年10月04日
ヴァイオリン レッスン
朝のSJS (Southill Jr. School) で時間がうまく使えなかったにしろ、いろいろな発見がありクリアな課題に繋がるセッションができました。さらに今日はリスニングの練習を皆でしたので、私が一曲弾くことがあったのですが、その後の個人レッスン中に一年生のやんちゃ坊主が聞いてきました。
「俺が何歳になったらユキみたいに弾けるようになる?」
彼はBarney。時にぶっきらぼうで基本、器用な方ではないけれど (器用でないからぶっきらぼうなのか?)心に人一倍の優しさを持ってるいい子です。
Barneyがそんな質問をしてくれたってことはちょっと意外で、思い出せば思い出すほど嬉しくなる。私の今日をBarneyが良い日にしてくれた。
そんなことがありつつ、AMSではイマイチでした。新しい部屋ででのレッスンだったから? 天気が悪かったから?私の準備不足は確実。
私の想像力がフル回転せず、イマイチ、イマニなレッスンが今週は続いてしまいました。
理由は簡単。用意が必要です。夏に蓄えた見学日誌を読み返して色々な先生方のアイデアからの刺激を再度受ける。今週末はそれに尽きそうです。
2013年08月05日
リトミックの夏の講習会へ行ってきました。Canterbury,England
おとといイギリスのCnaterburyという街から帰ってきました。ロンドンからドーバー海峡の方、東へ電車で2時間半。先週日曜の7月28日から月火水木金と、五日間の講習会でした。
Canterburyの街中。
書籍販売コーナーがありました。たくさん買っちゃった!
中間日の水曜は半日フリー。街中をクラスメイト達と歩きました。
ここでメキシカン料理を頂きました。手前のスターター二つ頼んだのが私。海老のから揚げと、蟹の揚げケーキ。どっちもほっぺがとろけそうでした。
いわゆるダルクローゼ・ユーリズミックの講習会でした。日本ではリトミックと呼ばれています。
ダルクローゼのことを何も知らないままアイルランドから渡って、どうも世界的に有名らしい先生方に幼稚な質問をしまくった数日でしたが、5日間を終えてみてやっと見えてきたものがあり、「先生方すいませんでした」と、今は穴があったら入りたい思い。あちゃー…
このダルクローゼの面白いところが5日間かかってだんだん見えてきました。膨大な量の感じとったものが確かにあるのですが、こうこうこうでした、と言葉にするのが難しい。とても表現しきれないことが分かっているというか、そもそも感覚的なものなのではないのか、というか。
【やったことと】いえば、
*毎朝の下腹部分のコア筋肉トレーニング、拍数を動きで感じ取りながら、拍、動きどちらもの変化もプラスしていく。
*今まで注目したことのない、事象のその形、品質を体を使って表現することによって注目して&感じてみる。
*室内で、皆(結構な人数)で動き周る中、空いた空間を作らないよう埋め合う。出会ったり、頬笑み会ったり、さっとすれ違ったり…無音だったり音楽だったりがある意外に、無数にある物や物と自分との間に起こりつづける出来事の数々…。全体の中での一部である感覚が芽生える。これがまたとても暖かい心地のいいもの。
*音と音との感覚を協力して表現する。歌う。Solfaで即興してみる。
*固定ドの私に難しかったのは、転調した音楽の主音、下属音、属音がなったらある動作をそれぞれにする、というもの。
*不透明の袋の中に入ってる何かを目を閉じたままピックアップし、それを手で感じてみて、さらにそれを自分の楽器で表現してみる。他の人はそれが、どんなものだったのか当てる。(私のは毛の長いレザーの一部。)
*音楽を聞いて、それを体で表現する。誰かと協力して表現する。
…などなど。
体を使うので、すぐに疲れてきます。スージー、どっしり座りたいよね。わかる。
空間を共有し合います。動いてる時は私も動いてるので写真が撮れず残念。
讃美歌か何かの第100番。ダルクローゼがロンドンでそのメソッドを広め出してから100年がたち、UKの誇る作曲家ブリテンの生誕100周年でもあることから、この曲を今年は何かと使うそうです。私たちは即興のクラスで使いました。
【日を追うごとに表れ始めた変化】は、
*表現するのにあらゆることが許されていることが、なんという喜びであることか!←楽しい
ex : どのパーツを、どう使うか、どんな量で、どんな勢いで
*音楽の聞こえてき方が代わった。全体が感じられる。まるで皆で部屋の中を縦横無尽に歩いたりしてシェアしていた時のような感覚。
*目をつむったまま片足で立っていられるようになった。
*人と何かを一緒にすることが楽しみになる。
食堂。朝食やランチをここでクラスメイト達と食べました。結構美味しい。
一番仲良くなった、デボラ。ブラジル出身で、大学の先生の彼女は今ポルトガルで博士号を取っています。
毎朝のコアマッスルのトレーニングをして下さったニコラ先生。古典舞踊の先生で私たちにグループでのダンス、リズムの中で流動的で推進力のある動きを学びました。右はビン、イギリス人と結婚し、三人の男の子をもうけた美しき上海出身の彼女。歌うとまるでベルのよう。聞き惚れてしまいます。
その立ち姿がただ美しい。
左はカリン、南アフリカから。右のナタリーは地元ロンドンのから。ナタリーはサーカスの人で、2日目の夜、泊ってるとこの中庭で夜9時ごろ、あと二人も一緒になってバイオリンとサックスでジャムりました。あれはかなり、お酒も入って楽しかったんだけど、それ以上に私たち、クレイジーでした。あはは。
チャペルの天上。どんな角度から見ても、この天上はまるで大きな星が輝いているように見えるんだ。
このジーザスに毎日、見とれてばかりいました。
オーラルの授業にいくのにいつも通る道で、この位置に来るといつもはっとさせられるのでした。
オーストラリアからサンドラ先生。ちょっと変わった先生。
日本人は全員同じアパートに滞在するようにセッティングされていました。毎晩毎朝お話しできて、日本のこととか教えてもらえて嬉しかったです。しかもなごやんが二人も!
スージーと、アストリッド。全身全霊使って真摯に学ぶ姿に、勇気をもらいました。
即興の授業。私たちはそれぞれに楽器を持ちこんだ人たちのクラス。普通はピアノなのだそうです。
アジア人三人、でも全員出身が違う。住んでるとこも違う。
左アリスはウェールズ出身。英語話します。
中央アマンダは香港出身、中国語話します。
私は日本。日本語話します。仲良くなれて良かった!
あれ!そういえば、この二人の出身地は。奥カタリーナ(クラリネット)はオーストラリアなんだけど。手前アリスはえっと。。。?私の後ろはミユキさん。埼玉からおいででした。
デボラと同じく特に仲良くなったピアノのカリン。讃美歌100番をクリーピィにCマイナーにし、ハンガリアンだかカルメンだかの雰囲気で一緒に即興しました。先生に褒めてもらったね!
これからもダルクローゼを勉強していきたいと思います。人とのコミュニケーションが喜びになるというのは自分に対するの新しい驚きで、子供の時からずっとずっと知りたかった楽しさがそこに隠れているみたいなので。そして第二に、シンプルに音楽教育に大きく役に立つと確信が持てるからです。
とりあえず8月末にダブリンでの講習会を見学に行く。一つレベルの上の人達がどんなことを学ぶのかを見られます。”見学”というのが、またイイ。ダブリンで宿取らなくちゃ。
2012年01月24日
読譜について - 友人とのディスカッション
曲を学ぶのに、歌えるまでにたくさん音源を聞くのは必須、それが私の考え方です。つまり耳コピというやつです。耳で学んだものを形にするのです。楽譜は、「必要なので」みてみるのです。耳コピでバッハが弾けるようにはならないですもの。
読譜の練習という意味では、難しい曲を辛い思いをしながら音源無しで形にする。大変結構なことと思います。しかし、そもそも「初見でパガニーニが弾ける」ようになったとして、それは曲芸ではあれ、芸術ではないのです。
演奏者にとって楽譜は作曲者の意図を読む、ロジカルに多様な角度から音楽を研究する、アイデアのメモ帳として、などいう理由で必要なのです。
世界で最も良い録音をたくさん聞き、耳コピで弾けるところは真似して弾いてみるのです。このやり方はちゃんと行えば、
あなたの音色、感性、音程感覚を良い方向へ伸ばします。
読譜の訓練はオーケストラでスコアを使いながら鍛えるわけですから、個人の練習時では最も養うべきものを養いたいものです。
前にも書きましたが、音楽とは言語なのです。当然ですが言語とは本読むためではなく、人とコミュニケーションをとるのが元々の目的です。赤ちゃんは無垢に必死に人の口の動きを見、その発音を聞いています。そしてついには全く同じような節回しで言語を習得し、訓練の末には自分らしさをもった表現で人の心に訴えかけられるまでに至るのです。
これは楽器を勉強するのにとても大切なことだと思うのです。
(人は何を何故本にするのかというのを考えるのも面白いですが、それはまた別の話ですね)
実は、そうこういう私も音源無しの読譜で鍛えました。それが正しいと信じていたのです。しかし今そこから得たものと得られなかったものを、ようやくはっきりと自覚し始めています。アイルランドでの経験が教えてくれていることです。
つたない日本語で伝わるものかかなり不安です。
練習って難しいときもありますが、やり方次第なんですね。
楽しんでください。