2008年08月

2008年08月12日

友人ユミコへの手紙

ゆみこ


はぁい!お久しぶり。元気にしてますか?
ついにアイルランドへ戻ってきたんだ。空気は涼しくてなんと名古屋と10度ちがうんだよ!あっちは35度で、こっちは25…いやいや、最近はそれさえないかな、20度いってるのかしらってくらい。寒い寒い。長袖を数枚重ねてないと、外を歩けません。(クリスは半袖だけど。crazy.)そっちはやっぱり暑いの?あれ、今冬?

そういえば、前にダイビングするって言ってたじゃん。やっとパナマで初ダイビングっていってたやつ。どうだった?沖縄の海とどっちがよかった?

渡愛後、早くも1週間が発ちました。帰って早々一つFestivalに行ってきた☆
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Martin Heyseって人でFiddlerの世界的に有名な人が居るんだけど、その人のレッスンが受けれたんだよ。生演奏もあったし、その他諸々含め、良い刺激をたくさん受けれて良かった。先生も決めたので、住む場所を変えるつもり。
明日からまた別の Fesに行くの!夏は本当にFesが至るとことろで行われていて、ワーホリで時間自由自在な私には嬉しい限り。
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話が前後するけど、実はフライトの問題の為にセントレアを発った後、ペキンに一泊滞在したの。まさにオリンピックが始まるって言う3日前くらいに。中国人は不親切で、英語が全く通じず、汚い国だと思い込んでいたので、すごく滞在を恐れていたんだけど、行ってみたら(オリンピックのお陰で)空港、トイレ、リニアモーターカー、駅、超キレイ!
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ホテルに行くのに微妙に迷ったので、中国語でホテル名をメモッてきたものを、おばちゃんに見せながら(英語で)尋ねたら、中国語とジェスチャーで「あーいって、こう!」みたいな感じで助けてくれた。お陰さまで無事に着いたよ。
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ホテルの人の対応も全く悪くなくて、一人英語を話せる男の子がいたから、助かった。お部屋も床を裸足で歩くと黒くなるけど、シャワーもトイレもエアコンもアメニティもベッドシーツもパーフェクト!日本じゃありえないけど、ある程度の最低ラインはクリアしてたのよ。街中のところどころにある公衆トイレは怖くては入れなかった。笑 ゆみこが前に教えてくれた「隣のが流れてくる」って話、結構な衝撃だったから今だに頭から離れないの!苦笑
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翌日、オリンピックグッズをいっぱい買って、オリンピック会場見学にいって、
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お次はロンドンのヒースロー空港へ向かったよ。着いて早々にバスステーションを探して、同じくロンドンのスタンステッド空港へバス移動しました。スタンステッドを出てアイルランドのシャノン空港について、2時間バスを待って、 Galwayに向かったの。なんと到着時間夜中の3時!待っててくれたクリスを見たら、安心してすっかり力が抜けちゃった。

さて、今からクリスフラットに散乱している私の荷物たちをまとめます。半端な量じゃないんだよ。いつの間にこんなに増えたんだろう…。


近況報告でした☆
それじゃ、また!





ゆき in Galway





at 19:18|PermalinkComments(0)

Feakle Festival 08

 Galwayに着いた翌朝、再び荷造りをし直し、4時のバスでFeakleへ向かいました。乗り換え場所のEnnisで次のバスを逃し、止む無くタクシーを使う羽目に。
 黒人のノリの良いおにいちゃんが運んでくれたんだけど、彼はガーナから来たんだって。自分は昔中国に二年間居たけど、いつか日本にも行きたいって。とっても良くしてくれたから、約束の30ユーロじゃなくて、35ユーロ渡した。実際、メータはもっといってたし。

 着いてそうそう、さてテントを建てた。Feakleの町中からキャンピングサイトまで彼が送ってくれたので助かった。建てるのに四苦八苦していたら、近くのゲルギー人兄弟が手伝ってくれた。とっても助かった♪彼らとは、その後町で&キャンプサイトで会うたんびに仲良くできた。他のキャンプサイトメンバーも会いに来てくれて挨拶した。ドイツから来た人や、アメリカ、イギリスから来た人などいろいろ居た。
 初めて、キャンプするときの礼儀みたいなものの存在を知った。次回に生かしたい。

 フェスティバル(以後Fes)が始まり、ワークショップに3日間参加した。一日目はJoan Hanarahanという女性がレッスンしてくれた。彼女は右手の持ち方や、運弓についていろいろ説明してくれた。私の持ち方を例に挙げて、yukiの右手の人差し指はとても良い、とお褒めの言葉をもらった。そして、小指がいつも私のは弓に置いてあることについて、それはクラシックの人の持ち方だ、と。アイリッシュを弾くには、小指を丸く甲に引き寄せるのだそうだ。よーく聞いてたんだけど、イマイチ詳細まで英語が理解できなくていかん。
 二日目はわが友・小松の師匠でもある、Pat O’Connorさんだった。静かなレッスンで、3曲学んだ。9月からレッスンを受けることにした。
 
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 三日目はついに、Martin Hayes!!!ついにこの人のレッスンを受けれた。噂に違わず、お話ばっかり。でもそのお話はとても大切なことを言っていて、理解できたその一部にさえ、きらりと光るような、自分の音楽を見直すきっかけとなり得るようなことがとても多く説かれていた。

 Fes中には演奏会も多々あり、Martinもトリで弾くが、その前にFrankie Gavinの演奏も聴けるという教会でのコンサートに行った。1時間前から列に並んでの入場。良い席が取れてよかった。
 Frankieはボタンアコーディオンと一緒にやったんだけど、毎度思うけど、コンサーティナーやボタアコとではフィドル聴こえないって。彼がやってることが十分に客席まで届かなくて、正直残念だった。すごいことやってるんだろうけど、そんなこともあって、音楽の中身が空っぽなイメージになってしまった。憧れてたのになぁ。今度は彼一人の演奏、もしくは相方はギターだといいなぁ。
 Martinの演奏には、多くを学んだ。一音一音に丁寧さ、大切さが感じ取れ、作品全体を大きく捉えているからなのか、完成度のある演奏だった。(アイリッシュで、基本そういうののあるなしを問題として聞くことは今まで無かった)
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まるで「その身体は、単に魂の入れ物に過ぎず…」。
何かがものすごい勢いで溢れ出している。それは気持ちというのか、感情というのか…いやそういう人的ぬくもりのあるものではなくて、もっと無機質で神妙な何か。この男は一体何者なんだ。



 Pubでのセッションではワークショップに参加してた多くの生徒たちや、その他Fesに訪れた音楽家たちの演奏を聴けた。皆とってもレベルが高い!
 前回のフラ・ヌーアとはえらい差だ!(←小声)
 演奏される作品はさすがにいろんなスタイルが見られた。それが返って面白く、楽しげなTuneをいくつか発見できた。
 プロの演奏家たちが集まってのセッションでは、Co.Clare地域らしい作品が次々と演奏され、なるほどこれがクレアか、大人しく優しい響きだ、と良い印象を受けた。

 最後の日はClaire & Brid Keville の居るPubでセッションに参加した。なんと彼女たちの選曲の中で私が知ってるのはたったの1曲しかなかった…;
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このBridはCDを出してて、その演奏はなんとFiddle1本。よほど自信がないと出来ないんじゃないか、と思うこのCD。ぜひ手に入れて、コピーしてしまいたいものだ。
 


 Fesを通して天気は最悪。夜は嵐におびえて、深く寝付けなかった。
 しかしキャンプ生活にはハマった。マイテントとか、マイランタンとか揃えたいもの。

at 06:06|PermalinkComments(0)

北京ぽいんと

初ペキン コラム

 1.中国入国審査
     中国人用と外国人用との並ぶ列、窓口が違うので、私はもちろん後者に並んだ。ところが、審査官は中国語で話しかけてきた。
。「…いや、英語でお願いします」というと、「Chinese?(中国人だろ?)」。「いや、わたし日本人だから」って(状況考えたら馬鹿みたいな)ことを教えると、そのおじさんはクールに私のパスポートをもっかい見てた。後ろの補佐官みたいな人がプーって噴き出してた。何も言わずに結局通してくれた審査官。そんなに私は中国人に見えますか。

 2.荷物も手に入り、到着口から空港内へ。出てくる到着客を迎える人々でごったがえしていた。もうまるで私、ハリウッドスターになったみたい!♪みんなが旗のように名前を書いたボードを頭の上に持って押し合い圧し合いしている。そんな人たちが乗り出してきちゃって、道が狭く閉じられそうになっているところで、警備員さんが来てくれた。「道開けてくださいよー」だか「ラインから出ちゃダメですよー」とかそれっぽいことを言って津波のような人々を戻しにかかってくれた。私は彼のその中国語がどうにも気になった。
「まいねーむぃずはうあーゆー(My name is how are you)」に聞こえて仕方がなかった。????「私の名前はHow are you」?????

 3.ホテルに着く。庭先でそこに居たスタッフに「ニーハオ」と挨拶。伝わったのが嬉しくて、受付でも「ニーハオニーハオ」と言いまくった。なぜかスタッフ全員が私にどっと中国語で話しかけてきた。「えーと、英語でお願い」というと、多数が散った。さっきの入国審査のことがあったから、そんなに私が「ニーハオ」という姿は自然ですか、と思ってしまった。そういうわけじゃないわな。


 4.中国人のおじさんたちは、暑いからだと思うけど、シャツをなぜかおなかの上までまくっている。それ以上巻き上げないの。樽のような立派なおなかをぼろんと出して、ゲームやアルコールに興じ、日陰でだらっと休んでいる。まんでそこまで脱いだら、全部脱がないんだろう・・・おなかは良くても、おっぱいは見せるの恥ずかしいのかしら?



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2008年08月11日

ペキンとベイジン…どう違うんだろ?

12:36+7時間 2008/08/04 

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これが、今回の帰国の目的”大須オペラ”です。
11日だかに始まって8月の3日まで、ほぼ毎日公演し、私は運良く全公演にのせてもらいました。17年続いてきたこの大須オペラ、実は今回が最後でした。演出家の加齢によるリタイアのためです。彼は「(作品について互いに意見を出し合うのに)もう皆とケンカできなくなってしまった」。悲しい言葉の響きです。練習時に轟く彼の怒声が懐かしくも思える。(その時はすごくビビるんだけど。)公演最終日は皆が涙&涙でした。この一つの大きな文化的催しが、また違う形で次世代へ繋がっていくことを期待し、さらにその時が来たら私もその動きの一部としてお役に立てるように、自分のやるべきことに全力を注ぐ次第です。


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話は変わり、これは私の実家のある街、豊明市の近くにある大府緑公園の一角です。
すごいでしょ!まるで極楽でしょ。朝10時くらいまでにいくと満開だと聞いて、10時くらいに母と来ました。オカリナのIさんがこの場所を教えてくださったの。すぐ隣にとても洒落たcaffeもあり、かなりお昼のお散歩(車で行ったけど)にはオススメスポット!大きな大輪を雄大に咲かすたくさんの蓮。母の顔よりも大きいくらい!キレイだね、美しいね、仏の花という意味が何となく分かるよ。

昨夜、二人の甥のうち、上の子が「ねぇね、またがいこくいっちゃうの?」と聞いてきた。胸の奥のほうでくっと小さく気持ちがこみ上げたけど、「そうだよ、元気でね」と言ってから、彼らのシャーベットを食べる姿の写真を取り捲った。笑
色々宿の場所やらを調べていたら、なんと私の飛行機、11時発と思ってたら、13:20発だった。なんでずっと11時発だと思っていたんだろう。よかったー思ってたより遅いのならいいや。早朝発だったら大慌てだった。というのは、以下の用事があったから…。

今朝は朝から郵便局へママに連れて行ってもらい、配達記録で届いていたANAカードをGet。これがないと、もしこれから3ヶ月の間に海外保険保険を請求するようなことがあった場合、とても面倒なことになる。これで一つ大きな用事を済んだ。
あとは、郵送する小包が3つ。宛名書きからする。
支払ってみると3つで\6,000のはずが、\11,500になっとる!
私が送りたかった方法は宛名を荷物本体にそのまま書くのだが、早とちりしてゆうぱっくの時にも書くような専用の用紙に書き込んで貼ったのがいかんかったらしい。もっかいやり直し。
ママがいよいよイライラカッカしてきた様子。あわわ…。
結局、小包3つで5千いくらだかになった。よしよし。

おうちへ帰り、荷物をまとめ、椅子に座ることも無く再び出る。
今度は近所の郵便局じゃない。ペキンへ行くんだ。

いつだったか誰かに国際線に乗るときは「空港に2時間前着」と教わったので、11:30過ぎについて、ちょっとドキドキした。でも無事にちぇっくいん。おとといからおなかが下りっぱなしなのが残念。だってさて日本としばしお別れって時に、日本食がおいしく食べられないんだょ。食は人生の楽しみの半分を占めるのに。くそぅ、、連日の飲みすぎがたたった。私ももう年なのかな…。
結局、空港で矢場とんを食べる食欲が出ず、その悔しさもあり無理して一刻堂のみそラーメンを食べた。当然だけど、こんな時に食べても感動はなかった。(ちーんって感じ)
Air Chinaの飛行機は、Gateの並ぶ列のいちばーん端っこ(から2つ目)だった。体調がいよいよ面倒なことになってきた。
搭乗が開始するも開始の放送は無かった。飛行機を外から見たとき、その飛行機の小ささと、ボロさに少しばかりの不安が芽生えた。
でも、機内へ乗り込むときのフライトアテンダントさんたちの笑顔に気持ちが温まる。中国のサービスは最低なのだ、とか衛生管理は最低なのだ、とか何でも悪く言う人たち(?)の話を聞きすぎていて、私のイメージの中国人は相当冷たい人になってしまっていた。でも、会ってみたら他の会社のアテンダントさんたちにみたいに、とってもキレイにしてるし、サービス精神は高いとは決していえなかったけど、でも悪過ぎってほどでもない。ちなみに一人だけ乗っていた日本人アテンダントさんは、とても優しく気の行き届く良いサービスをしてくださった。彼女に特別手当をAir Chinaはつけるべき!彼女一人でAir Chinaの株をあげていたよ。
なんと、乗っていたら食事が出てきた。一刻堂食べなくても良かったんじゃん。;半分だけ食べて下げてもらう。料理も食べれないこと無い。おまんじゅうも美味しかったよ。
隣に乗っていたこれからインドへ行くという男性と仲良くなる。結局名前も互いに知らぬままお別れをしたけど、彼のお陰で飛行機はとても楽しい時間になった。また会えるといい。きっと旅情報をまたたくさん交換できるだろう。


さて到着だ。
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ペキン空港はモダンで美しく広かった。オリンピックが行われるところというのはこういうものなのか。きっと長野もその時はこうしてオリンピックムードに包まれていたんだろう。飛行機利用客の中には思ったより白人が多かった。そしてそれは、各国からオリンピック選手団、その周りの人たちがぞくぞくやってきているからなのだろう。五輪のマークの入った揃いのジャージを来た団体を何組も見た。

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リムジンバス、バス、タクシー、他にもペキン市内へ出る手はあったが、きっと一番本数が多く、空港で待つ時間が少なくて済むだろう地下鉄を使った。明日の朝も同じルートで確実に空港に来れそうだし。
空港線というのがこのオリンピックに向けて作られた。お陰で確かに1本でペキン市内へ出れるんだけど…チケットなんと25元。北京市内の地下鉄は2元で乗れるのに…おのれ、オリンピック。

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ホテルまでは、一度だけその辺のおばちゃんに聞いたけど、そう迷うことなく発見できた。ネットで、奥まったところにあると書いてあったので、奥まったとこまで行ってみたら見つかった。お部屋は想像よりとーっても良い。280元でこれなら、オリンピックのために宿代が何倍にも何倍にも膨れ上がっている今でさえ、安いと思える。ツインしか空いてなかったからツインを取ってるんだけど、ベッドふたつもあって、ちょっと寂しい贅沢。
シャワーもトイレも部屋についてて、テレビもある。今こうしてPCも使えてる。華奢な女性スタッフが荷物を部屋まで運んでくれた、チップが要るだろうな、と思って渡したら、「いいのいいの」的な中国語で断っていた。何より、英語を話せるステキな男性がスタッフで居て、安心&嬉しかった。ここにしてよかった♪

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着いて間もなく、町散策。行く前のペキン滞在への不安が馬鹿みたいに、来てみたら何でもない。気疲れして損した~。周辺をうろうろして、暗くなる前に家帰ってきた。いたるところに、映画やテレビでみたことのある中国らしい景色が散らばっていた。写真を撮るのはとても楽しかった。
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今は20:32。時差は1時間。日本より1時間時間が若い。そうだ、ママに着いたらメールしなさい、といわれていたんだった。ぁ、でも圏外だ。


明日はフライトが長い。しかも乗り継ぎだぃ。ヒースロー空港(ロンドン)に着いたら急いでスタンステッド(ロンドン)へのシャトルバスに乗れんかったら、その次のアイルランド行きに乗れないのだ!スリル~ぅ。(;)今日はぐっすり休もう…。















at 05:52|PermalinkComments(0)